コラム(172⁻177ページ)に関連して。
ヴァンゼー記念館(叢書No.8 の原書表紙)
-この建物の歴史-
ヴァンゼー記念館の位置(地図-186-187ページ)
最近(2016-01-31-02-08)の記念館とその周辺など
ヴァンゼー会議記念館 Am Grossen Wannsee 58
Wannsee
アインザッツグルッペ侵攻路
ゲットー
ユダア人移送 1941年10月1945年
「ユダヤ人問題最終解決」を論じた会議場
会議出席者
ナチス・ドイツが編入・併合ないし占領した地域など
(この会議は1942年1月20日開催,議題:「ユダヤ人問題の最終解決」Endloesung der Judenfrage)
会議の場は,写真を見ればわかるように豪邸の中であった.
この豪邸は、元ユダヤ人富豪所有であった。
ベルリン郊外、森と湖地が多い地域、その大ヴァンゼー(湖)の湖畔にある。
S-Bahn 1 の「ヴァンゼー駅」から循環バス(路線番号114)が走っている。バス停の名前は、「Haus der Wannsee-Konferenz」。
会議当時,この建物は親衛隊の所有物。 国際刑事警察(ドイツの責任者がハイドリヒ)の建物としても利用されていた。
4. ヴァンゼー会議記念館の内庭の掲示その1(オーレンドルフ)、その2(保安部の秘密研究所「ヴァンゼー・インスティテュート」Am Großen Wannsee 43-45・・・ドイツ人の東方植民政策などを研究した機関)
5. ヴァンゼー会議記念館の内部の展示(処刑直前)
写真(下)説明には,1941年10月23日から25日にオデッサ出身のユダヤ人男性2万6000名がルーマニア人特殊部隊によって「報復措置」として射殺された、と。それはほぼ1ヶ月前のキエフ郊外バビ・ヤール渓谷でアインザッツグルッペC(治安警察・保安部特別出動部隊)のキエフ・ユダヤ人3万2000名以上の「報復射殺」と同じやり方だった、と。
6. 同じく,「ユダヤ人問題最終解決」を議論した会議場室内配置
7. 会議に参加したハイドリヒ(司会・責任者=帝国保安本部長官・治安警察保安部長官)以下、中央官庁次官クラス15名の写真と職務表
8. 会議場そばのヨットハーバーと遠方には水泳場、
そもそもベルリン西南地域のこの地域は緑豊かな地域で、グリューネヴァルトなど著名な別荘地,高級住宅地であり、ヴァンゼーも大小7つの湖がある地域で、ベルリン郊外の高級別荘地,保養地。
現在も大ヴァンゼー,小ヴァンゼーでヨット,釣りなどを楽しむ人が多い。